大人になりたい

 26歳でやっとスタートラインに立てたみたいな人生だけれど、やってみたいなあ、どうやってやるんだろうなあ、と25歳までにぼんやり思ってきたことや今後そう思うことにこのままひとつずつ挑戦していけば、それなりにいい生涯を送れるのではなかろうか。

 

 自分は一体何がしたいのか、何ができるのかを私は知らなすぎるから、興味を持ったものにはとりあえず手を出してみればいいんじゃね? という若干向こう見ずな状態に今なっている。やりたいことは別に小説だけではないなと思って、あらゆる欲するものにセンサーを張ろうとしている。近頃欲望の話ばかりするのは、今年の個人的な目標のひとつに「自分の欲望から逃げず対話する」というものがあるからだ。どんなに些細なことでも構わない。実際すぐに取りかかれるものは結構やっていて、突然始めた3Dモデル・MMD制作もそれの一貫なのだけれど、突然1000ピースパズルをやってみたり、突然ひとりで山に行ってみたり、突然ライブハウスに通ってみたり、はたから見たら「突然」としか言いようのない行動を今年はよくしている。この先別に何の役にも立ちそうにないけれどただ興味があるものに対して、これまで取ってきた「適当な言い訳で自分を納得させて挑戦しない態度」を改めようと努めている。(実はこれも、自分に対して自信と信頼がなさすぎる問題をどうにかましにしたくて、自分を知って愛したくて設定した目標なのだけれど。)

 

 もしこのゾーンに10代の頃に至れていたら、今頃もっと違う人生展開を繰り広げていたのだろうが、私は暴力沙汰の実家と絶縁して数年経過するまでは精神状態が通常のそれではどうやらなかった。カウンセラーにも「両親からの過干渉であなたはこれまで自分の望みを自分で制御してきた」と指摘された。だから自分が何を欲しているのか未だ不鮮明だし、行動に移す前に誰かの許可が必要な気がするし、何か希望が叶っても不安がつきまとうらしい。しかしそんな精神状態でもここ数年はずっとましで、やっと目が覚めたような、くっきりした色彩で世界を目撃できているような感覚で、視界の開き具合さえ違うような感覚が確かにある。だから今やりたいのだ。今ならできるから。自分のことはきっと自分しか救えないから、私をケアしたくて私が足掻いている。君はこれがしたいの? あっ泣かないで、そっかこれが欲しかったんだね? あっ違う? こっち? と赤ちゃん用のガラガラを振りながら自分をあやしている。そんな2024年。

 

 こんな幼稚さでも身体は31歳、見かけは大人である。周囲や職場からは「いつも自信満々で自分を持っている人」とよく言われるが、心を許す仲になった人からは「こんなにネガティブな人だと思わなかった」と言われがちなハッタリ大人だ。いいか、私はかなり暗いぞ。貴殿らが普段見ている私は人の形状をした殻だ。中身は、他者の目線に恐怖しすぐ無力感に苛まれる、自分が何者かも知らないくせに孤独がないと健全でいられない、さらには死に安らぎを見出しながら別世界を夢想して生きながらえている、そんな無様な液体がドロドロ詰まっている。

 

 十年以上前からインターネットで何かしらを公開し続けてきたけれど、中でも何度も思い出す時代がふたつある。二次創作小説を書き始めた最も夢中だった十代の頃と、最も多くの読者を得た創作漫画を描いていた二十代前半の頃だ。前者は文字通り寝食忘れて没頭していて、一番のめり込みが熱かった。あの熱意と集中には客観的に見ても凄まじい勢いがあって、以後、なにかに取り組む際の没頭度を測るメーターのようになっているからよく思い返す。後者は、自分の置かれていた境遇に近い物語を描いていたのでセルフセラピーのようになっていた役目もあったと今になっては思う(カウンセラーにもそう言われたことがある)が、それに加え、想定以上の人に見てもらえていたのはかなりの幸運だった。正直に言うとあの頃の自分を羨ましいと感じることも非常に多いし、なぜもっとあの影響力をソーシャルグッドな方向に活用しなかったのだろうと後悔することもある。あの頃があったから学べたものも多いので経験できて良かったとは思うが、……まあごちゃごちゃ並べても仕方ない、つまりは創作物をよく見てもらえて嬉しかったのだ。だから頻繁に思い返す。それなのにあの頃の自分というと、読者や関係者にかなり無礼で無粋な態度を取っていて、身の振り方に反省することがあまりにも多い。

 

 もっと早く大人になりたかった。なんどきも年相応でいたかった。今がそういられているとも思えないけれど、昔よりはましなはずだ。暗闇にいたままでは影の存在に気付けない。今の私には、過去の私が立っていた場所の暗さが見える。少女の頃の私に声をかけられるならこう言いたい、大人は楽しいよと。大人は自由だと。自由を享受するには責任が伴う、しかしそれすら楽しいし価値があるとなぜ誰も教えてくれなかったのだろう。昔の自分に評価できることがあるとすれば、父の拳や母の呪縛から物理的に逃げたことだ。物理面ではないところでも早く離れたい。だから私が私をケアし続ける。過去よりも未来の話ができるようになりたい。私が誰なのか知りたい。大人になりたい。そうやってみっともなくドロドロに戦いながら、今日も人型の皮をかぶってなんとか社会に属している。

 

 ところでやりたいことをやるという点について、私は今、数ヶ月前に書いた私の暗さと迷走が顕著に出ているこの記事と全く違う内容を綴っている。この振り幅は我ながら人間味がある。案外、中身まで人間かもしれない。