雪はしずか

 

 雪が降った。リビングのソファに横になってしばらく眺めていた。さっきまで見ていたJ・A・バヨナ監督『雪山の絆』を思い出した。寒い中避難所や避難所じゃないところにいる能登の人々を思った。瓦礫の白い粉で顔を汚すガザの人々を思った。雪が降る時間を静かだと思うのは、私達がそこに音があるはずと思い込んでいるからだ。質量が落ちてきているのに落下音がない、音があるのを基準にしているから、ないことが特に静かだと感じる。

 孤独は一人では感じられない。インターネット上では誰もが繋がっているように錯覚するが自分の声が反響しているだけかもしれない。他人を見てこの人はあっち側、あの人はこっち側と分類するのをやめたい。いつ読み返しても森鴎外は良い。あと、友達がほしい。転職を考える。

 日記(兼エッセイ)を書いている「しずかなインターネット」に感想レターが時折届いていてすごく嬉しいです、ありがとう。しずかなインターネットはイイネ機能も他人に見えるコメント欄もないし、記事ごとの閲覧数集計もないので過度にインプレッションを気にしなくて済むし、時間の流れがゆるやかなようで心地良い。気楽に開ける。場の提供に大感謝している。 

 さて、暴力的なまでもの薄情さがはびこる2024年、倫理や道徳よりも利益や地位が優先される2024年、こんな始まりにするつもりは2024年側だってなかったはずだけど、こんな世界にしてしまった責任を背負いながら明日も戦ってゆくために、今はただどうにか生きていきます。国会議員が違法行為をしても掴まらない国。震災の被災者救済もせずに原発を続けようとする国。著名人が性暴力を行なっても守られる国。地方自治体の声を無視して海を埋め立てる国。どうしてこんなことが許されるのか。こんな国に誰がした? あなたが。私が。

 信じられないけど私たちって多分間違っていない。証明されるのが何十年後になるのかさっぱりわからないけど、そのときこの国ってまだあるのかわからないけど、きっとああよかったそうだよねこれこそ善だよねって、フェアネスが守られた社会でやっときっと息ができるようになる。今はただ毎日苦しくて、悔しくて、悲しくて、腹立たしくて、無力感に陥りそうになるけど、もう無闇にその「いつか」を願って信じて生き抜くしかないのかもしれない。

 仕事先の新年会で六十近い男性上司に「その髪(ベリーショートに切った髪)、どうしたの。旦那さんと何かあったの?」と言われて意味がわからなくて返事に困った。別の五十五くらいの男性上司はずっと近くの席にいてずっとこっちの気を引くのに躍起になっていた。飲み会での疲れは大体が怒りだ。女というだけで別物扱いしてくる奴はみんな嫌い。気持ち悪い目線を上書きして忘れたくて本を読む。

 祈るような日々です。どうやって心を守っていますか。