はたちの私よ。いま君が抱えている不安が私にはわかる。母も着たという古風な着物に身を包んで、胸張って鏡も見られないような心意気で、故郷の成人式に参加した。自分という存在そのものが恥ずかしかった。あの頃、十年後の自分がまだふてぶてしく生きながらえているなんて想像していただろうか。
私の二十代はそれなりに波乱のあった十年間だった。義父に殴られ、母の浮気を見過ごし、弟を守るために立ち上がったものの、責任転嫁でハイになって、現実から逃げて毒っ気のある解放感に酔っていた。一年くらいひきこもっていた時期もあったし、逆に全く家に帰らなくなった期間もあった。掬われるみたいに仕事に就き、夫に出会った。実家と縁を切ったのも二十代。二十五以降は飛ぶようだったが、趣味に遊びに仕事に恋に勉強に、やっと「普通」の暮らしができ始めたのは確実に二十代後半からで、それは実家と絶縁してからと同義だった。フェミニズムに目を覚まされて、様々な世界や文学やアートに触れて、ようやく自分自身と真っ正面から向き合うことができて、そこからは日々新鮮な発見と、年々自分が愛おしくなるというはたちの私からしたら起こり得ないような満ち足りた光が広がった。
二十代前半は真っ暗闇だった。後半には明かりが点り出したので、昔は影っていたのだなと振り返ることができた。二十代最後の年齢、今はこんなにも視界が鮮明で、見通しがよくて、毎日鏡を見てにっこりしている。でもまだ貪欲で未熟で、なりたい自分を目指して右往左往しているし夕方には反省ばかりだ。
三十の誕生日の前日、大好きな同僚に「加藤さん、明日誕生日ですよね」と言われた。愛する夫に「上司に『明日妻の誕生日で久しぶりに外食するので絶対に定時で上がります』って言っといた」と言われた。私にはこれが全てだ。生まれた日を誰かに覚えていてもらえる、愛する人たちに声をかけてもらえる、そうなれたことが私にとっては二十代の奇跡だ。感謝が尽きない。私自身だって、まさか私が誰かからの愛に心から感謝を述べる人だったなんて知らなかった。
私を産んだひとに見捨てられたあの日に流した涙は生涯忘れないだろう。私を育てたひとに殴られ「絶縁だ」と告げられた日の苦渋は生涯忘れないだろう。命より大事だった弟たちにもう二度と会えないかもしれない恐怖と後悔は、きっと墓場まで続くのだろう。でも現在の私には現在の家族がいて、友達がいて、居場所もあって、打ち込めるものも夢中になれることもあって、なにより自分が愛おしい。たった十年であの底から抜け出せたのだから、私の三十代は、さらにまばゆいものになるはずだ。絶対にそうしてやるのだ。
そんな子どもじみた決意とともに二十九歳を終える。秋。肌寒い。ネイルはかわいいし、今日も本を読んだし、ジュニパーベリーのアロマの香りに癒やされる。この歳まで生きながらえてしまって本当に良かった。はたちの私に出会えたら抱き締めてあげたくなるくらい、私はここまで歩んできた。前をもっと向きたい。人生は短い。数々のこうあらねばならないを脱ぎ捨てて、私は私でいたい。もっといい世界が見たい。
ばいばい私の二十代。よろしく私の三十代。「ああ、いい人生だった」と思いながら死ぬことができるように、明日からも自分の正義を貫いて愛を信じるだけだ。